HSK六級物語 其の二 中国語と三国志

HSK六級物語 其の二 中国語と三国志

さていよいよ本題のどのようにしてHSK六級取得に至ったかを記していくわけだがどこまで遡るべきか。中国語を勉強する動機ということなら大学の時まで遡る。
大学時代、友達から「ドイツ語より楽に単位が取れるよー。」という甘い言葉に乗り第二外国語として中国語を選択。興味があるなし関係なく単位が取りやすいかどうかでクラスを決めていたのは今思えば勿体無い話。しかし小学二年の時漢字テストでクラス最低点をたたき出しそれ以来やる気をなくし漢字勉強をあきらめ且つ漢字アレルギーと言っても過言でないほど漢字を嫌っていたという事実をすっかり忘れていた。案の定、漢字が苦手なのに中国語が頭に入るはずもなく教科書を見て顔面蒼白。授業の度に先生からお叱りを受け半泣き状態。ドイツ語にしとくべきだったと後悔しても後の祭り。幸いギリギリ奇跡的に単位だけは取れたものの二度と中国語を見たくないほど心に傷を負った。

しかしその後ゲームと漫画を通して三国志がめちゃくちゃ好きになるというまさかの展開。ドラマ、小説、専門書へステップアップし着実に三国志マニアの道を進む。その熱意を化学実験へと向けていれば今頃は博士にでもなっていたのではと、ほんの少しだけ思う。

だが無事、大学卒業。その後夢を追い単身上京、しがないバンド活動を続ける。と同時に三国志への思いが湧き上がってきた。どうしても一度本物の三国志の舞台を見てみたい。そしてついにバンド活動の合間をぬって中国へと飛んだ。まったく中国語が話せないものの筆談とジェスチャーで約三ヶ月、三国志に縁のある場所を中心に見てまわった。途中ビザの関係でラオスとベトナムにもよったが。この旅の記録を「健太郎のアジア放浪記」として綴っている。

中国から帰国した後完全に中国の虜となった僕は再び単身中国、昆明へ向かう。今度は一人旅という名目ではなく語学の習得。こうして振り返ってみると三国志が僕の人生を動かしたと断言できる。中国語を学ぶこととなったきっかけはこんなところ。