HSK六級物語 其の六 新生活

翌日さっそく三人で例のマンションへ向かった。ドアは木製の彫り物が施してあり豪華さがあふれ出している。中へ入ると広いリビングルーム。とにかく煌びやかでどこかの高級ホテルのスイートルームと見間違うくらいである。お風呂もガラス張りのやはりスイートルーム、少なくとも僕の今までの人生ではお目にかかったことのない代物だ。 というか今日から本当にここに住むのかいな。
僕の部屋にはマットレスが備え付けられておりすぐにでも寝れられる状態。至れり尽せりとはまさにこのこと。

3人で住む初日ということで記念に焼肉を家でしようということになった。買って来た肉やら野菜やらを焼いている時にイケメン君が音楽を流しはじめた。ジャズルパンというしゃれた音楽。音楽一つで空間がしゃれた焼肉バーに早変わり。このイケメン君、普段家にいるときも常にバックミュージックがわりに映画を流すらしいがやることまでイケメンである。後日僕も真似してやってみたが映画が気になって他のことが手に付かなかったのでやめた。やはりライフスタイルは人それぞれのようだ。

3人でビール(青島という中国ビール)を飲みながらみんなの今までの人生などを語りあう。わずか数日前に出会ったばかりとは思えないほど仲良くなった気がする。これぞ青春。が、依然中国語はまったく話せないままである。

HSK六級物語 其の五 マンションシェア

ホテルに帰るとあの僕に話しかけてきた綺麗な女性、上田さんというが、その上田さんがまだロビーにいたため料金表を見てもらった。なんとこの上田さん中国語がペラペラで難なくその料金表を読解してくれた。他の言語を操れる人ってこうもかっこいいのか。いつかこうなりたいと思った。とはいえこの時点で中国語はおろか英語ですらセンター試験以降すっかり忘れTOEIC100点台というありさま、ここから外国語ペラペラは素人がエベレスト登頂レベルであろう。

さて料金の話に戻し、学費半年で3600元、寮は二人部屋で月650元。ちなみに寮に入ると学費が3000元に割りびかれる。当時は1元が14円ぐらいだったため、その数値を元に計算すると学費半年42000円、寮費月9100円という答えがはじき出された。今の僕の全財産が20万であるため半年は余裕でいける計算だ。

その夜イケメン君と上田さんが僕の元にやってきた。イケメン君は雲南大学、上田さんもどこかの学校に行くつもりとのことで、僕を含めた三人でアパートを借りて共同生活をしないかと提案してくれた。しかももうすでにアパートはこの近所に見つけてあるらしい。当初はイケメン君と上田さんの二人でハウスシェアならぬアパート?マンションシェアをしようと考えていたらしいが見つけた物件がとても広く寝室も3つあったため急遽僕を誘ってみようとなったらしい。

どちらにしても学校が始まるまであと一ヶ月、まったく予定がないためそれも楽しそうだなと思いシェアに参加することにした。学校の寮二人部屋というのも未経験で気にもなるためとりあえずは一ヶ月の間だけマンションシェアさせていただき、その先は後日決めるということで二人に了承していただいた。それにしてもイケメンと綺麗な女性の三人で住むというのも非常に緊張しそうである。

HSK六級物語 其の四 語学学校

翌日念のため雲南大学へそのイケメンの彼と偵察に行った。緑がたくさんのキャンパスですがすがしい。驚いたことはとにかくキャンパスが広いこと。僕が通っていた島根大学も相当広いイメージだったがここはその比ではない。今調べてみると敷地面積は400万平方メートル、生徒数約16330人、研究生14811人、教職員2870人。このようなスケールの大学は世界を見てもなかなかないのではなかろうか。とはいえその最高の環境に比例して値段も高くなるわけでやはり僕の手に届かないことに変わりはない。

宿に帰りしばらく途方に暮れていると、「ケンタロー君」と僕を呼ぶ声。見ると見知らぬ年の頃は僕と同じくらいのきれいな女性。どうもイケメンの彼から話が伝わっていたらしく、中国語の学校の事で話があるとの事。赤の他人の僕の事でここまで親身になってくれてありがたきことである。しかしこのホテル、中国の奥地昆明という地にありながら意外に日本人がいることに驚く。話を聞くとどうもこのホテル近辺に大学ではなく語学学校という形で授業料の安い学校があるとのこと。

まじか!?ありがとう!と言うやいなやその足で僕は学校探しに飛び出した。すると歩いて10分くらいのところに学校らしきものを発見。ここが彼女が言っていた学校だろうか?門には華僑補校とある。華僑?華僑といえばかつて社会の時間に習ったことがあるが。たしか「海外に移住した中国人およびその子孫」と定義されているはず。まずその定義に当てはめるなら僕は華僑ではない。ということは僕にはこの学校で学ぶ権利がない、ということだろうか。いやまてよ100年200年はては1000年遡れば実は先祖は中国人であった、という可能性もあるのでは?それならば僕は堂々とこの門をくぐれるわけだが。かつ「補校」という字も気にかかる。補う学校?どういうことか。本校は別にありここはそれを補佐する学校なのだろうか。しばらく門の前で腕組みしながら佇んでいたが、このままでは埒が明かない。意を決して中へ突入した。学期外ということだろうか、誰一人いない。建物がいくつかあるがどの建物へ行けばいいのかさっぱりわからない。

右往左往していると1人の中国人が僕を見つけ中国語で何かを言っているがまったく理解不能。僕はゼスチャーで申し込みをしたいという意思を伝える。すると伝わっただろうか、その中国人がこっちだと言わんばかりに歩き出した。彼の後について歩く。静かな構内にコツーン、コツーンと二人の足音だけが木霊する。

何やら事務所のようなところに到着した。事務所のおばちゃんが中国語でまくしたてた後一枚の紙を僕に渡した。そこには中国語とともに数字が羅列してあり、見た感じ学費や寮費であるらしい事はわかった。とはいえ中国語力ゼロの僕の判断では心もとない。とりあえず誰か中国語のわかる日本人に確認してもらいたい。料金表をもらい後日来るとジェスチャーで伝え学校を後にした。

HSK六級物語 其の三 中国語留学+学費


中国語取得の地として選んだ昆明、しかしそこへ辿り着く道は容易ではない。まず上海に飛び上海南駅より列車で昆明へ向かう。所要時間は約四十三時間、ほぼまる二日という計算。中国の列車は等級が分かれており無座<硬座<軟座<硬臥<軟臥の順で値段が高くなっていく。読んで字のごとく席なしの無座、硬い椅子の硬座、柔らかい椅子の軟座、そして三段ベッドの硬臥、個室二段ベッドの軟臥。僕が選んだのは硬臥ベッドの一番上。手を伸ばせば荷物棚に届くためここがVIPベッドと自負しているが値段は三段の中で最も安い。この路線すでに数回乗っているため地元の一畑電鉄のごとく見える景色で大体の位置がわかる。誠不思議な感覚。ちなみに一人旅時ゲストハウスで硬座の昆明―北京切符を持っている外人と話をしたことがある。その時はこやつやるなぁと羨望の眼差しで見ていたが今思えばその外人、硬座の意味を知らなかっただけなのでは、と思う。十数年もたってあれだが彼は無事北京に着いたのかやや心配である。

ともかく昆明駅に到着、ここから徒歩で三十分ばかし行ったところにあるカメリアホテル( 昆明茶花賓館 (発音はチャーホァービングァン)) へ向かう。これから一人旅の時と同様このカメリアホテルドミトリーが僕の城だ。が、実を言うとここ昆明に中国語を学べる学校があるのかないのかすらわかっていない。そのためこれからホテル周辺で聞き込みを開始する必要がある。というかそれぐらい出発前に調べとくべきだろう。自分の事ながらもし学校が見つからなかったらどうするつもりだったのだろうか、。

ホテルのロビーでたむろしているバックパッカー達に学校はないかと手始めに聞いてみる。するとその中に九月から雲南大学へ中国語を習いにいくという一人のイケメン日本人がいた。キムタクに似ていたため男ながらにドキッとしたことを覚えている。九月からというとあと一ヶ月ほど。これは運がいい、今から手続きをすれば十分間に合うじゃないか。が、学費を聞いてめんたまが飛び出た。中国の学校は二学期制で秋学期:九月〜一月中旬と春学期:三月〜七月中旬となっているらしい。僕はちょうどいい時期に運よく来たということだが、そんなばあいじゃない。なんと九月から一月までで授業料6500元+寮費一人部屋12000二人部屋6000元。当時のレートで一元=12.4円あたりで計算すると授業料だけで80600円、安い二人部屋寮費にしたとしても合わせると一学期で20万近く行く。なお値段は大体の感じで書いているため詳細を知りたい場合は大学のホームページなどでご確認ください。僕の全財産は20万なんでご飯代や帰りの飛行機、列車代を入れると完全に予算オーバー、アウトだ。こりゃ留学前に強制帰国か。

HSK六級物語 其の二 中国語と三国志

HSK六級物語 其の二 中国語と三国志

さていよいよ本題のどのようにしてHSK六級取得に至ったかを記していくわけだがどこまで遡るべきか。中国語を勉強する動機ということなら大学の時まで遡る。
大学時代、友達から「ドイツ語より楽に単位が取れるよー。」という甘い言葉に乗り第二外国語として中国語を選択。興味があるなし関係なく単位が取りやすいかどうかでクラスを決めていたのは今思えば勿体無い話。しかし小学二年の時漢字テストでクラス最低点をたたき出しそれ以来やる気をなくし漢字勉強をあきらめ且つ漢字アレルギーと言っても過言でないほど漢字を嫌っていたという事実をすっかり忘れていた。案の定、漢字が苦手なのに中国語が頭に入るはずもなく教科書を見て顔面蒼白。授業の度に先生からお叱りを受け半泣き状態。ドイツ語にしとくべきだったと後悔しても後の祭り。幸いギリギリ奇跡的に単位だけは取れたものの二度と中国語を見たくないほど心に傷を負った。

しかしその後ゲームと漫画を通して三国志がめちゃくちゃ好きになるというまさかの展開。ドラマ、小説、専門書へステップアップし着実に三国志マニアの道を進む。その熱意を化学実験へと向けていれば今頃は博士にでもなっていたのではと、ほんの少しだけ思う。

だが無事、大学卒業。その後夢を追い単身上京、しがないバンド活動を続ける。と同時に三国志への思いが湧き上がってきた。どうしても一度本物の三国志の舞台を見てみたい。そしてついにバンド活動の合間をぬって中国へと飛んだ。まったく中国語が話せないものの筆談とジェスチャーで約三ヶ月、三国志に縁のある場所を中心に見てまわった。途中ビザの関係でラオスとベトナムにもよったが。この旅の記録を「健太郎のアジア放浪記」として綴っている。

中国から帰国した後完全に中国の虜となった僕は再び単身中国、昆明へ向かう。今度は一人旅という名目ではなく語学の習得。こうして振り返ってみると三国志が僕の人生を動かしたと断言できる。中国語を学ぶこととなったきっかけはこんなところ。

オーストラリア放浪記 其の四十二

オーストラリア放浪記 其の四十二

突然の予期せぬ出会い。これからこの家族といっしょに暮らすのかと思うと不思議な感じがする。しかし一つ疑問がある。さっきのタイコミュニティーの会になぜ参加してなかったのか?時間的な都合なのか、はたまた他に理由があるのか。やや気になるが、ま、詮索はすまい。自分の事がまったく出来ていないのに他人の問題にくちが出せるわけがない。
母親の名前は忘れてしまったが小学低学年くらいの子供の名前はベンジャミンと言った。このベンジャミンむちゃくちゃスポンジボブというけったいなアニメが好きでいつもいっしょに見させられた。ま、シドニーの安宿でみなで見たシンプソンズよりは数倍良かったが。今まで海外のアニメなんて見たことがなかったためかシンプソンズを見たときいたく衝撃を受けた。全身黄色の人間?が主人公のブラックユーモアアニメで悪夢に出て来そうだ。そいうえばスポンジボブも体が黄色だがあっちはまだ可愛げがあるからいい。

あと、子供嫌いであった僕には珍しくとにかくこのベンジャミンが好きだった。その理由の一つにクロマニヨンズがあげられる。僕が家のコンピューターでクロマニヨンズのギリギリガガンガンという歌をYOUTUBEで見ているとベンジャミンが覗いてきた。そして「ギーリーギーリーガガンガン!」とヒロトに合わせて歌いだした。挙句の果てに「今日はさいこー今日はさいこーのきぶんだー!」と完全に日本語の部分まで覚えて歌えるようになった。これは相当好きじゃないとできない芸当だ。それから事あるごとにふたりでサビの部分を叫ぶのが日課となった。日本から遠く離れたオーストラリア、メルボルンで子供とクロマニヨンズを合唱、歌詞通りまさに「最高の気分」だった。

新HSK六級物語 其の一 HSKとは?

其の一 HSKとは?

さて題名である新HSK六級、中国語に携わっていない方にとっては聞きなれない言葉だと思う。ここで説明させてもらうと、HSKとは漢語水平考試の中国語読みであるHànyǔ Shuǐpíng Kǎoshìの頭文字をとったもの。漢語水平考試とは中国政府公認の国際的な中国語資格試験のことであり国内外問わず企業採用などの評価基準となる。2010年に検定級が以前の1級〜11級から1級〜6級に変更になった。通称以前の1級〜11級のことを旧HSK,新しく変わった1級〜6級のことを新HSKと呼ぶ。2010年以降のHSKのことはすべてこの新HSKのことである。

検定級レベル
1,2級:それぞれ単語数150,300程度のあいさつや簡単なコミュニケーションが取れる。
3,4級:それぞれ単語数600,1200程度で生活や仕事などで基本的な会話はこなせるレベル。
5級:単語数2500程度で中国語のテレビや映画、雑誌などを鑑賞したり読めるレベル。英語なら英検準1級、TOEIC800点代相当。
6級:単語数5000程度で自分の意見を流暢に伝えることの出来るレベル。英語なら英検1級、TOEIC900点代相当。

と長らく書いてきたがとりあえずTOEICの中国語版とでも思ってもらえばいいだろう。とゆうかみなさん最初の数行で読むのをやめたのでは?僕だったらやめてる。